トークショーのスターダムに年齢は関係ないことを示す女性

黒柳徹子は70年間、日本で最も有名なエンターテイナーの一人である。90歳になった今も、彼女は健在だ。

A woman sits on a chair in what appears to be a living room decorated with flowers and a view of a green hill outside.
黒柳徹子さん(90)、今月初め、東京の「徹子の部屋」のセットにて。彼女のトーク番組は1976年から続いており、昨年秋には「同一司会者による最多放送回数」としてギネス世界記録を獲得した。
(クレジット:Noriko Hayashi / The New York Times)
今週初め、東京中心部のテレビスタジオで歩行器を押しながら、黒柳徹子さんは補助の手を借りてゆっくりと3段の階段を上がり、クリームベージュ色のエンパイア風アームチェアに腰を下ろした。
スタイリストが彼女の足元の特注ブーツを脱がせ、ハイヒールのミュールに履き替えさせる。メイクアップアーティストが頬をブラシで整え、鮮やかな赤い口紅を塗り直す。ヘアスタイリストが彼女の特徴的な玉ねぎ型の髪型の乱れを整え、別のアシスタントが刺繍入りの黒いジャケットに粘着ローラーをかける。そうして、黒柳さんは第12,193回目の番組収録に臨む準備が整った。
日本で70年以上にわたって知られるエンターテイナーである黒柳さんは、1976年からトーク番組「徹子の部屋」でゲストと対談を続けており、昨年秋には「同一司会者による最多エピソード数」でギネス世界記録を達成した。映画、テレビ、音楽、演劇、スポーツ界の日本の著名人が何世代にもわたり彼女のソファを訪れ、メリル・ストリープやレディー・ガガといったアメリカのスター、イギリスのフィリップ王配、旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ氏なども出演してきた。黒柳さんは、ゴルバチョフ氏がこれまでで最も印象に残っているゲストの一人だと語る。
「100歳になるまで続けたい」と冗談を交えつつ語る黒柳さんは、早口のトークと、恋愛や離婚、そして近年では死といったテーマでゲストの本音を引き出す巧みさで知られている。若い世代へのアピールも忘れず、今月は韓国系カナダ人俳優・歌手のアン・ヒョソプさん(28)が出演したが、最近では多くのゲストが老いや業界の仲間たちの死について語るようになってきている。

ゲストの六代目中村勘九郎さんと一緒に映る黒柳徹子さん。カブキ俳優の六代目中村勘九郎さんとのシーンがスクリーンに映し出されている。
(クレジット:Noriko Hayashi / The New York Times)

第二次世界大戦を生き延びた黒柳さんは、日本のテレビ創成期に女優として頭角を現し、その後、人々を元気づけるインタビュアーとして独自の地位を築いた。その個性的なスタイルは、現在でも日本中のほとんどの人にすぐに認識されるほどだ。登場人物をインタビューする人という枠にとどまらず、自らを“キャラクター”として打ち出すことで、彼女はテレビで活躍する「タレント」(英語の“talent”が日本語化された言葉)というジャンルを確立する手助けをした。この「タレント」は、今や日本のテレビには欠かせない存在となっている。

「ある意味で、彼女は本当に日本のテレビ史そのものの具現化のような存在です」と語るのは、イェール大学で東アジア文学と映画を教えるアーロン・ジェロー教授だ。

黒柳さんは何よりその活動の長さで知られているが、男性が圧倒的多数を占める業界において、先駆的な女性でもあった。

1972年にバラエティ番組の司会を始めた当時を振り返り、「質問をしても、“黙ってなさい”って言われるような時代でした」と語る。これは、その日収録を終えたスタジオ近くのホテルで行われた、ほぼ2時間に及ぶインタビューの中でのことだ。

「でも、あの時代から比べると、日本は変わったと思います」と彼女は語った。

1958年、NHKのスタジオにての黒柳徹子さん。男性が圧倒的に多い環境の中で、先駆者として活躍した女性だった。
(クレジット:朝日新聞)

彼女は聴覚障害者の擁護者であり、国連児童基金(UNICEF)の親善大使も務めている。しかし一方で、革新的なキャリアにもかかわらず、女性の権利向上にはあまり貢献してこなかったという批判もある。「彼女は“豊かで古き良き日本”の象徴です」と、東京大学でメディア研究を専門とする林香里教授は電子メールで述べている。

インタビューの中で黒柳さんは、唯一の女性として数多くの場にいたことによる屈辱を特に強調することはなかった。30代・40代の頃には、テレビ業界の男性からデートに誘われたり、結婚を申し込まれたりすることもあったという(彼女の口ぶりからは、そうした誘いが歓迎されていなかったことがうかがえる)。そして、現在なら不適切とされるような発言も、当時は冗談として受け流していたと語った。

彼女は、日本社会には依然として「封建的」な性別関係の要素が残っているとし、女性たちには自力で道を切り開くことを勧めている。

「女性だから何もできないなんて、絶対に言っちゃだめよ」と彼女は語った。

子ども向け番組に出演したいという思いからテレビの世界に入ったという彼女だったが、結婚も出産も経験しなかった。「変わった仕事をしているなら、独身の方がいいわね」と語り、「その方が気楽よ」と笑った。

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彼女の初の自伝『窓ぎわのトットちゃん』は、東京のユニークな進歩的小学校での子ども時代を描いたもので、1981年に出版され、世界で2,500万部以上を売り上げた。昨年の秋には続編を出版し、第二次世界大戦中の日本の過酷な状況を描いている。ある日には焼いた豆15粒しか食べられなかったことや、空襲から逃れるために母親と共に防空壕で身をすくめていた日々が語られている。

黒柳徹子さんの番組のセットで、彼女のトレードマークである「玉ねぎヘア」を整える美容師。
(クレジット:Noriko Hayashi for The New York Times)

彼女が続編(※『トットちゃんと戦争』)を執筆しようと思い立ったきっかけのひとつは、ロシアによるウクライナ侵攻後に目にした映像だったという。黒柳さんは、母親とともに東京から北日本へ疎開した自らの戦時中の記憶を掘り起こした。

「私は『戦争は悪い』と直接は言っていないけれど、子どもが戦争を体験するとどうなるのか、それをわかってほしい」と語った。

黒柳さん自身には、どこか子どもっぽい雰囲気が今も残っている。インタビューの際には、いつもの玉ねぎヘアをやめ、自身の髪を隠して、アッシュブロンドのシャーリー・テンプル風のくるくる巻いたボブのウィッグをかぶり、大きな黒いベルベットのリボンで留めていた。

こうしたスタイルもすべて、彼女が何十年もかけて築いてきた「威圧感のないパーソナリティ」の一部だ。
「彼女って、なんだか“かわいらしい”存在なんです」と、専修大学経営学部でジェンダー問題を専門とする根本久美子教授は語る。「彼女は何かを批判したり、政治的なことを持ち出したり、ネガティブなことを言ったりしませんから」

そのためか、ゴルバチョフを例外として、黒柳さんは政治家との対談を避けてきた。
「政治家って、本当のことを言うのが難しいでしょ? それに、みんなを良く見せることなんて私にはできないもの」と語った。

番組のセットで、メイク道具の中にあった若かりし頃の黒柳徹子さんの写真入りバッジ。
(クレジット:Noriko Hayashi for The New York Times)

革新的なアメリカの報道番組司会者バーバラ・ウォルターズと比較されることもある黒柳徹子さんだが、インタビュー相手に対して強く詰め寄るようなことはしない。プロデューサーは事前にゲストに対して、避けたい話題や取り上げてほしい話題を確認し、黒柳さんはそれを尊重する傾向がある。

今週の収録では、ゲストに六代目・中村勘九郎さん(歌舞伎役者)が登場した。彼の父親や祖父も黒柳さんの番組によく出演していた人物だ。勘九郎さんは、テレプロンプターに表示される前から、家族に関する質問が来ることを予想していたようだった。

「私が一番大事にしているのは、ゲストとのやり取りをコントロールして、視聴者に“この人は変だ”とか“悪い人だ”と思われないようにすることです」と黒柳さんは語った。「できれば、“ああ、この人って素敵だな”って思ってもらいたいんです」

2001年にゴルバチョフ氏が番組に出演したとき、黒柳さんは政治の話題を避けた。
「彼にとって政治の話題は大ごとになってしまうでしょう?」と彼女は言う。
代わりに、彼の好きな詩人について尋ねると、ゴルバチョフ氏は19世紀のロマン派詩人ミハイル・レールモントフの『帆』を朗読してくれた。

「私は、“もし日本の政治家に同じ質問をして、ひとりでもこんなふうに答えられる人がいたら素敵だな”って思ったんです」と語った。

黒柳徹子さんは、「100歳になるまで続けたいの」と冗談交じりに語る。
(クレジット:Noriko Hayashi for The New York Times)

年齢を重ねる中で、彼女はテレビ朝日のスタジオという49年間番組の本拠地で、自身の世代が直面する課題にも正面から向き合ってきた。たとえば2016年に亡くなる前、黒柳さんは「上を向いて歩こう」の作詞家である永六輔氏にインタビューを行った。永氏は車椅子に乗って出演し、進行したパーキンソン病の症状が明らかだった。黒柳さんは彼の病について率直に語り合った。

「高齢者は彼女の存在に確実に励まされています」と、同志社女子大学表象文化学部の影山貴彦教授は語る。

話し方がややゆっくりになってきた黒柳さんだが、それでも仕事を続けるモチベーションは「年配の視聴者に勇気を与えたい」という思いから来ているという。
「体も頭も大丈夫な状態で、100歳になってもテレビに出続けられる人間がいるんだってことを見せたい。もしそれができたら、とても面白い実験になると思うんです」と語った。

報道協力:東京から上野久子氏、野登屋貴子氏
執筆:モトコ・リッチ(ニューヨーク・タイムズ東京支局 記者、日本報道チーム責任者)

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